新江戸川公園(目白台1丁目)細川侯爵家本邸跡
- 1
- 54
mixiアルバム「新江戸川公園 (文京区目白台1丁目)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000054002169&owner_id=32815602
2012年03月20日 21:35
11.05.02.
●新江戸川公園――
古くから大名の邸宅地として幾度かの所有者の変遷を経て、幕末に細川家の下屋敷になった。
明治時代には細川家の本邸となる。
1960年、東京都が当地を購入、翌年公園として開園。
1975年、文京区へ移管。
当地付近は目白台からの湧水が豊富な地点で、その湧水を生かした回遊式泉水庭園を主体とした公園となっている。江戸時代の大名屋敷の回遊式泉水庭園の雰囲気を現在でも感じることが出来る。
●永青文庫――
昭和25(1950)年、第16代当主細川護立氏によって設立。
護立は旧侯爵、貴族院議員で、国宝保存会会長などを務め、戦前・戦後の日本の文化財保護行政に多大な貢献をしている。「美術の殿様」と言われ、美術品収集家としても著名であった。
文庫の所在地は細川家の屋敷跡。建物は昭和時代初期に細川家の事務所として建てられたもの。文庫名の“永青”は、細川家菩提寺である正伝永源院(建仁寺塔頭)の“永”と、細川藤孝の居城
青龍寺城の“青”から採ったという。
一般公開は昭和47(1972)年から。
細川家→ http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=1886502406&owner_id=32815602
アルバム: 東京都2文京区/武州江戸
お気に入り (0)
まだお気に入りに追加している人はいません。
コメント (1)
-
http://photozou.jp/photo/show/650854/268977463 記載
現住所の22番地台あたりが高田四家町とう町屋区画で(写真左手・東側)。
そこ以外の21〜23番地と南側の1番地はすべて細川サン家。
このブロック東半分が下屋敷。西半分が後から所有された抱屋敷。東半分の南側4分の1くらいもまた区分されている敷地だったようで。
現在はソコと西半分の南半分が新江戸川公園の敷地かな。
と面倒なんで、ひとつ所となったのであろう明治期の形態で? ネーミングしましたε=(>ε<) ププーッ2021年11月9日 17:41 晴耕雨読 @黄昏の番犬 (0)
コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。